矢代川流域に所在する妙高市馬場遺跡の発掘調査では、中世期の水田跡で焼山より噴出した火山灰が確認されています。畔に囲まれた小規模な水田跡で人と牛か馬の足跡が直線的に点在する様子を私も実見しました。足跡の窪みに堆積していたのは灰色の火山灰で、田んぼの黒色土との区別は容易でした。
足跡の様子から、代掻き後の田植えの最中に火山灰が堆積したようです。もちろん火山灰が降り積もったわけではなく、火山灰が泥流となって流れ込んだようです。つまり、中世の大規模噴火を古記録などに記載される正平十六(一三六一)年と想定すると、その年の五月下旬から六月頃に火山灰を含む泥流が水田を埋め尽くしたことになります。なお、この足跡の位置や窪みの断面などから、この水田の田植えは後ろ向きに行われていたことも解りました。
いずれにしても、六五〇年ほど前の今頃、焼山は今以上に噴煙を上げていたことでしょう。私たちの足もとには焼山の噴火を示す痕跡が随所に埋もれているようです。将来の噴火に備え、そうした痕跡を知っておくことも大切なことでしょう。
※直近の新潟焼山の様子を紹介しておきます。
木島 勉
◆次→上早川の歴史と伝説(その14)「屋敷の平と佐多神社」 ■前→上早川の歴史と伝説(その12)「安永二年の焼山大噴火」
※本記事、上早川の歴史と伝統」は上早川広報「ほこんたけ通信」の連載記事として掲載される内容を本ブログにも投稿しています。お問合せは上早川地域振興会事務局(上早川地区公民館内)025-559-2002までどうぞ。
0 件のコメント:
コメントを投稿