2016年6月15日水曜日

上早川の歴史と伝説(その14)「屋敷の平と佐多神社」 [ History and legend of KAMIHAYAKAWA No.14 ]

上早川の歴史と伝説(その14)
屋敷の平と佐多神社
早川を挟み中川原新田の対岸に北山集落の旧地とされる「屋敷の平」があり、山裾には建速須佐之男命(すさのうのみこと)を祀る「佐多神社」がある。境内の西端には古木と巨岩があり、付近には天保十三(一八四二)年奉納の石祠も祀られています。巨岩周辺には礫が点在することから、古代の祭祀遺構ではないかと騒がれたこともありました。残念ながらそのような遺構ではありませんが、厚い崇敬を感じるスポットで、伐採を戒める伝承もあったことから栃と杉の古木からなる鬱蒼とした社叢は、市の指定文化財にもなっています。
さて、この「佐多神社」、その由緒は「八口山に住む賊を大穴持神が征伐したことによる」などとされていますが、平安時代に編纂された『延喜式』巻十・神祇の頸城郡十三座である「佐多神社」の推定地のひとつでもあります。いわゆる「式内社」とはこの『延喜式』に記載された神社のことで、平安時代から祀られている古式ゆかしい神社のことです。式内社「佐多神社」の一般的な推定地は宮平の「剣神社」あるいは直江津の「八坂神社」ではないかとされますが、この北山の「佐多神社」、社殿は明治期の建立と新しいが、社叢の雰囲気だけは格別です。
木島 勉
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※本記事、上早川の歴史と伝統」は上早川広報「ほこんたけ通信」の連載記事として掲載される内容を本ブログにも投稿しています。お問合せは上早川地域振興会事務局(上早川地区公民館内)025-559-2002までどうぞ。

佐多神社については、詳しい紹介サイトがあります。
ご興味ある方は以下もご覧ください。
「佐多神社」 ※サイト名「玄松子(GenSyouShi)の記録」

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