2016年9月14日水曜日

上早川の歴史と伝説(その17)「焼山噴火の年代」 [ History and legend of KAMIHAYAKAWA No.17 ]

上早川の歴史と伝説(その17)
焼山噴火の年代
活火山焼山は、約3000年ないし3250年前から大規模な噴火活動を始めたとされています。ところで、これらの年代は如何なる資料を根拠としているのでしょうか。
この根拠となったのは、火砕流台地の最下層で検出された焦げた立木で、前川の浸食で露出した埋れ木の年代測定によります。この年代測定は、放射性炭素測定法と呼ばれ、放射性同位体である炭素十四を含む生物は生きている間は減らないが、死後は炭素が補給されないことから存在比率が年々減じる性質と炭素十四の半減期が5730年であることを利用した測定法です。炭素を含む物質であれば測定可能であることから、一般的に普及している測定法で、今日ではその改良型も考案されています。また、この他にも前川河床で観察できたブナを検体とした年代測定でも類似の値が出されていることから、3000ないし3250年前といった年代は確かなようです。
この年代は、繁栄を極めた美山の長者ケ原集落も廃村となり、新たな集落が滝川原の細池や青海の寺地などに営まれようとしていた頃です。長者ケ原遺跡と同時代の土器片が角間などから採集されていることから、上早川にも縄文集落は営まれていたようです。当地の縄文人たちはこの大惨事をどのように眺め、どう対処したのでしょうか。
木島 勉
■前→上早川の歴史と伝説(その1)「延喜古道・山道説
※本記事、上早川の歴史と伝統」は上早川広報「ほこんたけ通信」の連載記事として掲載される内容を本ブログにも投稿しています。お問合せは上早川地域振興会事務局(上早川地区公民館内)025-559-2002までどうぞ。

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